第53夜(2026年6月22日) 世界を救う


 今日もまたうつかりと降りる駅の一つ前の駅で降りさうになつた。考え事をしているとついうつかりしてしまう。

 何の考え事かというとこれは大概は夏の間に書くべき推理小説のことである。ああでもないかうでもないと考えている。例年どおりと言われれば例年どおりであるけれども、今年は友人に今年こそは書くと宣言したから、きつと書くだらう。

 先日はローカル線で、うつかりと降りる駅の一つ前の駅で降りてしまつた。降りて気付いたことであるけれども、次の電車は三十分後である。



 ところで私の事務所は武蔵村山市という、裁判所がある立川市の北にある市に、今から七年前に建てた家の一階にある。

 立川市の土地が高くて買えなかつたため武蔵村山市に家を建てたのであるけれども、もう一つの理由として、武蔵村山市の土地よりも先に見付けて気に入つていた八王子市の高台の土地が、建築業者から建築を断られてしまつたためでもある。古い擁壁の上の土地で耐震構造計算が出来ないから、責任を持つて建築できないさうだ。私はいやできるでしよと思つたけれども、裁判所により近い武蔵村山市の土地を優先することにした。



 その高台の土地は、うつかりと降りた駅から徒歩十分の場所にある。

 往復の時間があるので見て来ることにした。新しく家が建つたらしいことは電車の車窓から眺めて知つていたけれども、見に行くのは初めてである。

 少しくわくわくする。これは私が失つた平行世界のお話なのである。



 平行世界は人生の選択の数だけ存在する。

 平行世界の存在については議論があり得るけれども、存在しないという証明はできていないので、存在すると考えてよいだらう。

 別れていなくなつてしまつた人たちも、それぞれ活躍している平行世界があるはずである。さう考えると、心が慰められる気がする。



 今回は事務所の立地の事である。高台の土地に事務所を建てていたなら、今頃どのやうな生活だつたのであらうか。

 裁判所が遠くなることから、リモート裁判への備えを早く整えたことであらう。現在、制度が変わつたというのにもかかわらず、私は未だにリモート裁判への備えができていない。

 線路を見下ろす高台の事務所では、一時間に数本のローカル電車の行き来が時刻を彩つたことであらう。小説の筆も進み、既に賞に応募していたかもしれない。私は未だに賞に応募できていない。今年こそはと思つてはいるけれども、一歩引いて考えると例年どおりでしかない。



 十分程歩いて目的の高台の土地に着いた。よく見るとまだ新しいけれども、昔からここに建つているやうな雰囲気で周囲と馴染んでいる一軒家がある。

 隣家との距離は近いけれど、線路側とは大きく距離を取つて、陽当たりの良い庭がある。これはいい。私の事務所の庭は陽当たりが悪く雑草しか生えないので、岡山から来てくれた父親に黒いビニールシートで覆つてもらつて、何も生えないやうにしてしまつている。



 物事は一長一短であり、私の事務所はスーパーと郵便局が近いのがいい。高台の土地の事務所はスーパーが遠いから、カレーを食することはできなかつたに違いない。

 夏はカレーである。丁度仕事が溜まつたので、スーパーに材料を買いに行つてカレーを作ることにした。カレーを作るのは少しく手間であるけれども、溜まつた仕事を片付けるよりはカレーを作る方が易い。

 自分との駆け引きである。今日も自分との駆け引きに勝つていく。



 昨年の残りのルーと冷凍肉を使つた。ルーの賞味期限が全く切れておらず、肉も問題ない。今年は人参も入れた。美味い。

 コスパが良く保存も良い。カレーは世界を救う食べ物になるかもしれない。






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2026/6/22
文責:福武 功蔵