九月は駄文を全く書かずに過ごしてしまつたけれども、京都の会合には行つた。二十年前と比べてすつかりポンコツになつた頭と身体で行つた。
同窓会である。友が皆偉く見える日である。たしか、友が皆偉く見える日には、家の者が優しくしてくれるのだつたやうな気がする。家の者は有り難い。
二十年間で何かを成し遂げた人には拍手と賞賛を送りたい。素晴らしいことであるし羨ましいことである。私は何も成し遂げていない。あえて言うのならば家を建てたくらいである。ローンが七十五歳まで残つている。
家といつても事務所を兼ねている。事務所を兼ねているといつてもほぼほぼ家である。私物を置いている。気に入つた私物を置いている。気に入つた私物を沢山置いている。
さういう次第で、家は私個人の嗜好や歴史を色濃く映し出している。もはや家そのものが私であり、私の本体なのではないかと思えるほどである。
さう考えてしまうと、私のポンコツの頭と身体は抜け殻のやうなものである。軽い。すこぶる軽い。最近は記憶も悪いので中身に何も入つていないかのやうに感じる。
さう言えば、長年乗つていた車にも乗らなくなつて三年が経つ。私は車から降りたのである。車から降りると、車のことを考えなくて済むので頭も身体も軽くなる。
まだ車に乗つている人を見掛けると、私は既に車から降りましたよ、まだ降りていないのですかと問うことがある。大体言われるのが、良いように言つているだけということである。確かに事実としては、ある朝私の車が壊れてしまい、その後は車を買う金も無いし、車が無くともバスに乗ればいいしで車を買つていないだけのことである。免許は返納したのかとも聞かれる。免許は返納していないし、所用があるときはレンタカーを利用している。やはり車は便利ではある。
二十年後?
ううむ、ここは夢を語つて聞かせやうか。
二十年後には世界平和が‥‥実現しない。実現せぬ。何か重要な前提条件が欠けているやうなのである。
世界平和は一旦措くと、私が実現したいのは脱コンクリート社会であり、そのためには自動車が‥‥(以下、長たらしいので省略)。
結論としては、城を建てたいと思います。二十年後に城が建つているといいな。えへへ。
「寝言は寝て言へ」と家の者に言われたので、一旦寝ることにする。おやすみなさい。