一日一善という言葉がある。良い言葉だと思う。一日一回は何か善い事をしたいものである。私は常々さう思う。ゴミを捨てる人よりはゴミを拾う人になりたい。
昨日は暑かつたので炭酸水のペツトボトルを買つた。余談になるけれどもこれはサツカーの先輩の影響である。この先輩はサツカーに打ち込むために或る時酒を止めて炭酸水に切り替えてしまつた。呑み会でも嬉々として炭酸水を呑んておられるので、最初は面白くてからかつていたのだけれど、次第に炭酸水が美味いやうな気がしてきて、果たして呑んでみたら大変に美味しい。特に味付きのものが好みであり、爽やかでさつぱりしたシヤンパンのやうに感じる。幾ら呑んでも酔つて仕事に支障を来たすことがないのも良い。
夏は炭酸水に限る。昨日はさう意気込んで炭酸水をがぶがぶ呑みながら仕事をした。彼方此方を回る外回りの仕事である。一昨日に事務所で何時間も書面仕事をしたので昨日は頭を休めるために移動を主とする仕事にした。暑い日であつたし、元々頭が疲れていた。何件か用件をこなした後に、手に持つていたはずの炭酸水のペツトボトルが見当たらないことに気付いた。何処に置き忘れたのだらうか。
考えても考えても、何処に置き忘れたのか全く判らない。判らないから取りに戻る訳にもいかない。やれやれ無意識にゴミを一つ増やしてしまつた。ゴミを捨てる人よりはゴミを拾う人になりたいのに。ダメな人間だと思つてはいたけれども、だいぶダメである。
ふと銀行のエテイエムで誰かが置き忘れたお茶のペツトボトルを見つけた。私は自分が置き忘れたペツトボトルの代わりにそのペツトボトルを拾い、中身をトイレの洗面台に捨ててゆすいでからペツトボトル専用のゴミ箱に捨てた。これでゴミは一増一減してプラスマイナスゼロである。これでいい。
ところが駅の切符売り場でも誰かが置き忘れた水入りのペツトボトルを見つけてしまつた。どうする。拾つて捨てるべきだらうか。
ここで私は、一日一善という言葉を思い出した。善い事は一日一回でよいのである。私は駅の切符売り場でスイカをチヤージすると、そのまま立ち去つた。
ところで、私はいつも黒の肩掛け鞄に書類を入れている。昨日は鞄に大量の書類が入つていた。今日は金曜日で仕事をあらかた終えたので、鞄に書類は全く入つていない。仕事をあらかた終えるのは気持ちの良いことである。最近忙しくて溜まつていた郵便物をあらかた開封して整理することができたのも気分が良い。歌を歌いながら家路に向かつていると、鞄が少し重いやうに感じる。中からたぷんたぷんという音も聞こえる。
果たして鞄の中を見ると、昨日買つた炭酸水のペツトボトルが鞄の底の方に入つていた。最近持ち歩くやうになつた携帯日傘の下にもぐり込んでいたのである。やれやれ、ダメな人間だと思つてはいたけれども、だいぶダメだなあ。