カレーの肉を奥歯で噛んだら奥歯が詰め物ごと割れてしまい、今日も歯医者で治療を受けることになつた。三度の飯よりもカレーが好きとはよく聞く言い回しであるけれども何のことはない。一日三回以上カレーを食べればよいだけのことである。
私は最近、ラーメンよりもカレーの方が安くて美味いことに気が付いた。夏の暑い時分でもカレーは食欲をそそるという点も見逃せない。気が付いたらカレーばかり作つて食べる生活を送るやうになつていた。
カレーを作ると洗い物が大変でせう。スポンジが死にませんか。よく聞くご質問である。チーズケーキを作るために買つたスクレーパー、これが大活躍する。カレーを残すから洗い物が大変になりスポンジが死ぬる訳であつて、スクレーパーでこそぎ取つて全てのカレーを食してしまえば何のことはない。ただ、高価な平皿にカレーを盛ると皿が真黄色になつたのには困つた。メラミンスポンジをこすり付けてどうにか真黄色を落としたけれどもメラミンスポンジは死んだ。呉々もカレーに高価な食器は用いてはならぬ。うむ、良い家訓が見つかつた気がする。
昨年は残つた大量のカレーが入つた鍋を鍋ごと冷蔵庫に入れたものの、夏の終わりまでうつかり忘れていて全部捨てるという悲惨な結末を迎えた。その反省から、今年はルーと具材とを別にすることにした。ルーは湯に溶かしてから冷まして小分け冷凍する。具材は原形を失いがちな人参は信用ならぬのでじやがいもと玉ねぎだけを登用し、カットしてレンチン後に肉を焼いた後の小鍋で蒸し焼きにする。火が通つたら溶かしておいたルーを小鍋に入れて短時間煮込む。小鍋のカレーは二食分であるから残りを冷蔵庫に入れて翌日食べれば忘れずに済むわけである。煮込んで出る旨みよりも衛生第一を考えた。それほど煮込まなくてもカレーは美味い。印度四千年の歴史である。
カレーを作つたり鍋で米を炊いたり小分け冷凍したりする手作業の時間は楽しく、事務所で書面仕事をする上で良い気分転換になる。カレーは歴史があり健康的で持続可能でしかも美味い。印度の人々よ有り難う。カレーに対する恩を感じ始めた私は、カレーについてもつと勉強しやうと志してウイキペデイアを読み始めた。我ながら良い志である。しかし‥‥。
ウイキペデイアは治安が悪いと聞くけれども、カレーの定義で、カレーとはカレー粉を使つたカレー味の料理であるといい、カレー粉とはカレーを作るときの調味料であるというのはいかがなものであらうか。合つてるけれど。合つてはいるんだけれど。あまつさえ、調味料や料理法からするとクリームシチユーも本来はカレーであるけれども誰もカレーとは思わないといい、とんかつや豚汁もカレーに分類されるおそれがあるというのである。カレーに対する恐怖すら感じさせて、じつに治安が悪い。それともこれが世界の真実なのであらうか。
私は新宿の紀伊國屋でカレーの定義を探すことにした。本屋の中の本屋である新宿の紀伊國屋で、辞典の中の辞典である広辞苑を紐解けば、ウイキペデイアで感じた治安の悪さは一掃されるであらう。しかし、新宿の紀伊國屋に着いてみると広辞苑は有り難くビニールで包まれていて触れることができない。さすが高級辞典である。他の辞典に当たつてみたものの、私を納得させるカレーの定義を見出すに至らなかつた。
英国がカレーの発展にひと役買つたことは知つていた。印度の味付けに英国が欧風のアレンジを加えて食し易くしたさうである。私は英英辞典を当たることにした。そしてついに私を満足させるカレーの定義を見出すことに成功した。それは‥‥
カレーとは、南亜細亜の料理で肉や野菜にたつぷりの香辛料を掛けたものであり、通常は米と共に食する。
たつぷりの(a lots of)。この表現がぴつたりである。日本語の辞典のやうに具体的な香辛料を複数挙げればいいというものではないし、香辛料の種類が多いと述べるのも当たらない。私も市販のルーを入れているだけで香辛料の種類なんか知らないし。よく判らんけれどもたつぷり香辛料が入つている。何が何種類入つているのか知らんけれども香辛料がたつぷり入つている。これこそが英国が見た、世界が見たカレーであらう。ああすつきりした。
歯医者で治療を受けたのでずつと口の中が薬で苦かつたけれども、満足できる定義を見つけて、口の中の苦さも爽やかさに変わつたやうな気がした。歯医者の治療は暫く続く。歯に優しい肉を選んで、たつぷりの香辛料が入つたカレーを作り続けやうか。