昨日、近所のスーパーマーケツトに、安くて美味いお気に入りの袋ラーメンを買いに行つたらもう売つていなかつた。お気に入りはいつまでも売つているわけではないことを思い知らされた。買いだめしておけば良かつた。私はいつも買いだめする物を間違える。五箱買つた生チヨコレートの箱がまだ二箱も残つている。随分暖かくなつてきたから、生チヨコレートが溶けてしまうことであらう。どうも私は計算ができないやうである。
夜八時のスーパーマーケツトは半額シールの時間である。寿司や惣菜の奪い合いである。それは言い過ぎだけれども、昨日は二十パーセント引きのシールを貼つた惣菜を買つたら半額シールを貼ろうとしていた店員さんにぶつかつてしまい、ごめんなさいと謝つたら二十パーセント引きのシールの上から半額シールを貼つてもらえてうれしかつた。半額シールは単に半額で買えたという経済的な面だけではなく、半額で買えたという気分の良さが良い。人間、気分で生きている。
ゲームの上手な人からもらつたキーボードを外付けして、開いたノートパソコンを本立てに立て掛けてゲームをするのも気分が良い。もらつたキーボードは右矢印のキー以外はちやんと動く贅沢品である。もらつておいて言うことではないけれども、もつと使えば良いのにと思う。私の知り合いなぞは一時期、Yキーが動かず画面の三分の一にカラフルな縞模様が掛かつたノートパソコンを仕事用に使つていて、訊くとこのカラフルな縞模様のデザインはポウルスミスであると嘯いていたのは格好良かつた。人間かくありたいものである。
暖かくなつてきて、炬燵を抜け出す頃合いとなつたけれども、世間の喧噪を他所に六畳一間に引きこもる生活は気に入つている。もちろん仕事はしているし生活もしているけれども、引きこもる時間が数時間あればそれは自分の時間である。最近は本を買つて読んだ。本はやはり良い。本を読む行為は結局は自分との対話であるように思う。自分との対話。それは自分の可能性を伸ばす行為である。
下手なゲームもしている。インターネツト上で下手同士の試合をするので、思わず笑つてしまう場面が多い。必殺技を空振りしたり、相手のために回復アイテムを取つてあげたり、相手を倒したのにミニオンに倒されたりしている。今日は二勝三敗だつたけれど、最後に勝つて終わつたので気分が良い。
計算がきちんとできる賢い人は、二勝三敗が実は負け越しであることに気付くのであらう。私はそのやうな賢さは持ち合わせていないので、勝つた勝つたと気分良く喜んでいる。気分が良い方が健康にも良かろうと思う。健康で、長生きして、自分の可能性を伸ばして、何かを成し遂げることができればうれしいな。
「うちにバカがおる」家の者がそう言つた気がする。まあいいじやないか。さういう人生なのだから。