炬燵はいい。冬は炬燵さえあればいいくらいである。
昔の人は炬燵に入つてみかんを食べながらテレビを観ていたのでみかんとテレビが必要なのかと思つていた。どうやらさうでもないやうである。みかんの代わりにワインを呑んでもいいし、テレビの代わりにパソコンでインターネツトを観てもいい。変わらないのは六畳一間で炬燵があればそこが自分の世界になるということであらう。ノートパソコン、貰い物のゲーム用キーボード、試しに印刷してみた書きかけの小説、味ごのみ、空のワイングラス、買つたばかりの湯呑みと急須、眼鏡入れ、行きつけのラーメン店にこつそり置いて帰る予定のキングダムの新刊(店が買つてくれないので自分で買つた)、時計(スマートフオン)、オーブンレンジの予熱で温めた朝食のレーズンパン、安売りで買つた生チヨコレートの箱が、全て炬燵の上に置かれて世界を形作つている。
買つたばかりの急須は木製で、小振りで一人分の茶を淹れるのにいい。中国茶用に一つ買つたら良かつたのでもう一つ紅茶用に買つた。さういうわけで急須が二つ炬燵の上に並んでいる。
炬燵の上に散らかつたパン屑などを、どうしたものかと考えた。さういえば、プラスチツク製の小さなちりとりと箒のセツトがある。子どもが学校で必要ということで昔に家の者が買い与えたセツトが結局要らなくなつたので貰つたものである。丁度いいと思つて、ちりとりを構えて箒で一掃きした。
ぱき。
さういう音がしたのかどうか、判らなかつたけれども、状況からしてそのやうな音がしたのであらう。小さな箒の穂先が全て、根元から一瞬で折れたのである。後には長さ十センチメートルほどの折れた穂先が大量に炬燵の上に残つた。パン屑を掃除しようとしたら穂先屑が増えてしまつたわけである。
うん、もう五年以上使つていなかつたからなあ。やつぱりプラスチツクは耐久性がなあ。素材は木と石と鉄が原始的で強くて安心できる。さう言いながら、結局手で炬燵の上を掃除しましたとさ。
話はおしまい?はい。おしまいです。ダメ人間が炬燵でだらだらしているところを描きたかつただけですから。炬燵は人間をダメにする‥‥と思ふのです。