第20夜(2024年11月13日) だらだら


 前日に早朝から頑張つて仕事をあらかた片付けてしまつたので、水曜日の今日はゆつくりと仕事に取り組むつもりだつたのだけれど、朝九時に乗つた電車が遅れて朝十時過ぎに発車することとなり、一時間余りをだらだらと電車内で過ごすことになつた。

 人の価値というものは、このような場面でこそ発揮されると思つている。予期せぬ形で現れた一時間の空白時間、あなたならどのように使いますか。



 電車が止まつた理由は人身事故であり、それほど珍しい事ではなく、通常は四十分程で復旧する。現に今日の事故でも、当初は四十分程で復旧するとアナウンスされていた。私は英語のアナウンスの方が気になつた。想定外の事態が生じたので遅れると、ただそれだけの説明だつたからである。しばらくして、負傷者の救護活動に時間がかかつていると説明があり、発車予定時刻がどんどん後ろへずれていつた。電車に轢かれてバラバラになった故人の回収に時間がかかつているのではないだらうか。言葉通りには信じないぞ。



 中国古典の孟子に言を知るという話が出て来る。相手の発した言葉そのものではなく、相手がどのやうな心で発言したのか、その心を知ることが大切という話である。人身事故が起きた場合、鉄道会社は復旧に努め、警察は現場検証に努め、事故に遭つた人は生きていれば治療に努め、亡くなつていれば成仏に努めるものであり、そこに他意はない。他意はないのであるから、説明の言葉がどのようなものであつても気にしないで、電車に一度乗った身としては、どんと構えて電車の運転再開までだらだらと待つしかない。さう、私は一見何もしていないかのやうに見えるけれども、じつはどんと構えて待つているのである。

 何もしていないというのは語弊であり、私は一時間近くスマートフオンのゲームをしていた。魚を揃えるゲームである。正確には魚ではなくブロツクを揃えるゲームであるがまあそれはいい。一時間近くやつてどうだつたかというと、揃わなかつた。次に、前日に購入した絵本を読了した。正確には絵本ではなく漫画の一種であるがまあそれはいい。女性の都会での一人暮らしを描いた本で、第十三刷とあるからかなり売れている。羨ましい。まだ一篇も書いていない身ではあるけれども羨ましいものは羨ましい。

 本を読み終わり、家から持参したクツキーを食べこぼしながら食べ終えて、それでもまだ時間があるからこの駄文を書いてみた。勿論食べこぼしは綺麗に片付けた。電車は遅れて発車したけれども、ここまで書いてもまだ次の駅に着かない。まるで人生のやうだ。





 …何が、まるで人生のやうだだ。何でも人生に例えて誤魔化すのは文学の悪い癖である。どんな読者でも、急に人生をぶち込まれたら処理に困つて途方に暮れる。野球のノツクの最中に野球場そのものを投げ付けるやうなものである。そろそろ電車が次の駅に着く。振り返つてみると私の時間の使い方はじつに下らない、だからダメ人間なのだと言われても返す言葉がない。いや、あるか。ぎやふん。






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2024/11/13
文責:福武 功蔵