第19夜(2024年11月13日) やつぱり


 結構感動した。最も愚かな男が自らの愚かさを悔いて生きる気力を失った後に、これまで失つてきた人たちとの楽しかつた大切な思い出を一つ一つ思い出して、きつと未来にはまた楽しいことがあると思い直して生きる気力を取り戻す、まるで映画のやうな話を読んで、一度寝てから、夜中に目覚めてその話を思い出したときに、結構感動した。

 背筋が震える。何か重いような、耳鳴りのような音が聴こえる。人は感動するとそうなるものである。と思つていたら、随分感動が長く続く。随分感動したなあと思つていたら、家の近くで道路工事をしていることを思い出した。日中は交通を遮つて工事するわけに行かないものだから、夜に工事をしているのだ。しばらくして震動と音が止んだ。工事が一段落したのであらう。



 あれ、あの感動は何だつたのであらうか。吊り橋効果である。吊り橋の上で男女が逢うと、吊り橋が揺れてドキドキするのとお互いが逢つてドキドキするのとが区別が付かなくなる。区別が付かなくなる結果、やつぱりドキドキするのである。

 吊り橋効果は、間違いではあるけれども、色んな意味で結果オーライであると思う。吊り橋が揺れると、吊り橋が壊れて川に落ちるのではないかと原始的な恐怖に駆られるのは、全く健全なことである。現代人は知性を身に付け過ぎて高所平気症というか、高いビルの上から他人を見下ろしながら平気で生活するのはよろしくない。そのくせに高いビルが乱立するのを地上から見上げては、世界は閉塞しているなどと曰うのである。男女が遭うと興奮してドキドキするのもいい。異性は古来からの最高のエンターテインメントである。何やかやで二人が出逢つて子孫繁栄するのもめでたしめでたしである。こうして人の世は続いてきたのであるし、多くの昔話はそのやうに結ばれている。



 その、まるで映画のやうな話に戻ると、愚かな男は、食べ物と女があれば生きていけると気付くのである。全く原始的な話であるけれども、全くその通りであらう。人は愚かで原始的であつていい。その話に直接書かれていないけれどももう一つある。人が二人いれば会話が生まれ、やがて物語が生まれる。物語を編んだ小説や映画、これらもまた生きていく上で役に立つエンタメなのである。役に立つどころか、欠かせないものなのではないだらうか。



 夜中に連々とこのやうに書いてみたら、やつぱり感動した。今回の感動は本物の深い感動のやうに思う。時刻は明け方の午前五時。直に陽が昇るであらう。人は古来より、陽が昇る曙には感動を覚えるらしい。ということは何だ、やつぱり吊り橋効果か。






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2024/11/13
文責:福武 功蔵