あなたは風邪を引いたりしたときに喉が痛くなつたことはあるだらうか。私はある。喉が痛くなつたときは、声を発するのも困難になるほど、喉が刺々しく痛く感じる。けれどもそれは一時的なことであり、薬をもらつて飲んで、薬が効いてくれば痛みは引いてくるものである。
私は家の者と家で話をしている中で、その話をした。
「喉が痛いときは、本当に痛いよね」
私は家の者が相槌を打つてくれるものと期待していたのだけれど、家の者はこう言つた。
「当たり前のことを大きな声で言う」
うん。まあ、当たり前のことかもしれない。私はめげずに、今度こそ家の者が相槌を打つてくれるものと期待して、こう言つた。
「痛みが引いてくると、痛くなくなるよね」
家の者は少し笑いながらこう言つた。
「当たり前のことを大きな声で言う」
そうか、当たり前か。私もだんだん可笑しくなつてきた。私としては喉が痛いときの痛みを伝えたかつたのだけれど、痛みというものは人によるものなのかもしれない。いや、よらないか。どつちだ。
私は五十一歳になつた。この歳で当たり前のことを大きな声で言うのはなかなかの大器晩成型なのかもしれない。
ふと本棚に、子どもが学校で習つたのであらう、おくのほそ道という本が置いてあることに気付いた。ぱらりとめくると作者の松尾芭蕉は五十一歳のとき、十月十二日に生涯を閉じたと書いてある。今から三百年以上前のことである。
松尾芭蕉は、句を詠む会で大人気であつたさうである。俳句が五七五であるのは、これに続く七七の下の句を一般に募集するためであり、我こそはと日本中の歌人が芭蕉を待ち受けていた。私がそのことを知つたのはつい最近、パズル雑誌の記事を読んでのことであり、学校では教えてくれなかつたように思う。
芭蕉の命日には二週間ほど遅れてしまつたけれど、おくのほそ道を読んでみる。本は教材用に現代語訳が付されていて読みやすく、しばらく読んで感動を覚えた。芭蕉は漢字と平仮名の使い分けにこだわつていたという。奥の細道ではなく、おくのほそ道なのである。歴史上の歌人が歌った場所を辿る旅の旅行記という点も面白い。天気の良い日だつたので私も散歩しながら本を読み進めた。行き交う人とぶつかりそうになりながら。
いつの日にか、私も芭蕉の歩んだ道を歩んでみたいものである。三百年後の読者にさう思わせるおくのほそ道は、なるほど三百年の時を無事にくぐり抜けた名著でありませう。…当たり前のことを大きな声で言ってみました。そのことを家の者に言うと、
「ふつう」
うん。ふつうが一番だぞ。