第15夜(2024年9月24日) 一石三鳥か


 近頃、選択的夫婦別姓というものが話題になつているらしい。選択的、夫婦、別姓と聞くだけで、何かわくわくするものがある。新しい夫婦の性の形なのであらうか。いやちがうちがう、よく見ると性ではなく姓と書いてある。何だ早とちりか。

 アインシユタイン博士が相対性理論を発表したときも似たようなことが起きた。相対する性の理論と聞くだけで、何かわくわくするものがある。発表当時、相対性理論の本は飛ぶように売れたそうである。今もし選択的夫婦別姓の本を出せば、同じように売れに売れることであらう。あえてタイトルは誤植させておくといい。



 少しく調べてみた。法律上、夫婦が同じ姓を称する同姓は、近代日本に入ってからのこと。昔はそもそも大多数の人に姓(氏)がなかつた。氏を名乗るのは貴族や武家だけで、名乗るのは名誉とされていた。最近になつてから視聴してとつても面白かつた「涼宮ハルヒの憂鬱」の中で、主人公の涼宮ハルヒが功績を挙げた部員にSOS団の副団長の地位を与えていたのだけれど、昔は貴族や武家が同じように、功績のあつた部下に氏を与えていたものと思われる。受け取つて有り難いと思うかどうかは人それぞれとしても。ちなみに副団長は有り難く受け取られた。涼宮ハルヒの機嫌を損ねると世界にどのような不測事態が起きるか判らなかつたためである。

 現代の世界を見渡してみると、例えばインドネシアでは法律上の姓が無い。それでも困ることは無いのであらう。エジプトでは姓というものが父の姓と祖父の姓を連ねるものと決まつているから、夫婦が同姓になることがそもそもあり得ない。ブラジルも夫婦別姓だけれど、子どもには家族の姓をどんどん足していくので、リアル寿限無くんが誕生することになる。長寿を願つて和尚さんに有り難い名前を付けてもらつたものの、寿限無寿限無五劫の擦り切れ…と名前が長過ぎたために、川に流されたときに救助が間に合わなかつたという江戸時代の落語話の、あの寿限無くんである。

 じつさいには姓が長くなるとどうなるかといえば、誰も姓を覚えようとしなくなる。そりやそうか。ブラジルでは姓ではなく愛称で呼ぶことが多く、親しい友人でも姓を知らないことが普通にあるらしい。なるほど、リアル寿限無くんが川に流されても、愛称で呼べば救助を求めるも早いというものである。他方でデンマークでは、夫婦のそれぞれの姓を複合することが認められているけれども、リアル寿限無くんの誕生を防ぐために複合できる姓は二個までと決められているらしい。やつぱり子どもが川に流されたときのことを考えると心配なのであらう。



 このように世界を見渡してみると、日本で同姓が法律上強制されるのは不思議な気がしてくる。姓が不変のもの、有り難いもの、格好良いものという固定観念が根つこにあるのかもしれない。

 ところで、自由の国アメリカでは姓を自由に変更できる。日本でも格好良い姓を求めて姓を自由に変更できるようになると、固定観念が崩れるかもしれない。ぱつと思い付く範囲では、「獣神サンダーライガー」など格好良いと思う。もう少し考えてみると、「アンドロメダ」とか「呂布」とか「九連宝燈」も格好良いな。

 問題は、リアル寿限無くん対策をするかどうか。そもそもは子どもが川に流されないようにすることが肝要だとは思うのだけれども。姓が長いと、試験の答案用紙や契約書類に大量に署名するときに手が疲れてしまうから、あまり長い姓を子どもに付けると、子どもが激怒するかもしれない。そのような子どもが増えて社会問題化すると、治安が悪化し、米騒動が起きてタイ米が流通し、原点に帰つて姓を廃止するということにもなりかねない。

 他方で、珍名さんというキーワードでネット検索をすると、武者小路や碇矢といつた有名人の姓が現在二十人前後と絶滅の危機に瀕している状況が判る。少子化のあおりを受けているのだらうか。少子化というやつは、高齢化と組んでみたりあおつてみたりと素行が悪い。一度成敗する必要がある。

 そこで提案するのである。選択的夫婦別姓を取るとしても、デンマークに倣つて、複合できる姓の数を限定するのはどうだらうか。二個だと少し寂しいから三個がいいと思う。例えば、佐藤=鈴木=田中である。この方式だと他との区別を付けるために、三番目に珍しい姓を置きたくなるから、絶滅の危機に瀕している珍しい姓が絶滅せずに生き残ることになるかもしれない。あわよくば少子化を成敗できるかもしれないから、一石三鳥か?






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2024/9/24
文責:福武 功蔵