先だつてコロナに罹った後遺症で、駄文を書くことができなくなつてしまつた。スランプである。
例えば、先だつて女子の人のガールズトークというものは、ただひたすらに好きな人や好きな事柄について嬉しそうに話をすることであることに気が付いた。女子の人はこれをお互いに許していて、ルールとしては順番に話すというルールくらいしかないようである。女子の人が話をするときにいつも笑顔であるのは、このように好きな人や事柄について話をしているからなのであろう。男子の人のいわゆるオタクの人も同じような傾向があるけれども、男子のオタクの人が半ば恥ずかしそうに話すのは、男子の人の間では女子の人のガールズトークのような緩やかな寛容性が確立されていないことが理由であると推察される。
とこのように、オチのない学術的な文章しか書くことができなくなつてしまつた。駄文の基礎はダメな自分を自覚することにあるのにもかかわらず、どうやら私はコロナの後遺症で、ダメな自分を忘れてしまつているようである。
ダメ人間がダメな自分を自覚しないようでは益々ダメになつてしまうのではないか。しつかりしろ、ダメな自分を思い出すのだ。そのためには、ダメで有名な先輩方の背中を見ることにしよう。
まずは明治時代の夏目漱石先輩である。この先輩は倫敦に留学したにもかかわらず鬱になつて部屋に閉じこもつていたという、留学した明治の賢才の中では特筆されるべきダメ人間気質の人であつた。硬骨の人という言葉があるが、漱石先輩は駄骨の人とでも言うべきであろう。吾輩は猫であるという歴史に残る駄文の中に登場する主人公の苦沙弥先生は、漱石先輩の生き写しという評判なので、漱石先輩も家の者にいろいろ言われながらも泰然自若として変な歌を歌つたり、大声を出しながら嗽をしたりしておられたのであろう。
次は昭和時代の太宰治先輩である。この先輩は名家に生まれながら幼少時からダメ人間の自覚があられたようである。薬物依存や自殺未遂を繰り返し最後は本当に心中してしまうという、ハードコアダメ人間とでも言うべき人であろう。浮気、借金と周りが心配するほどダメであられたので、太宰先輩に比べればどんなダメ人間もまともな人間に見え―失礼しました、いかんいかん。無用に人と人とを比べるのは、失礼に当たりますから。
最後は平成時代のキイス中村先輩である。この先輩は駄文はダメ人間が書く、オチは自分で着けるという駄文の基礎を築かれた偉大な先輩であられるけれども、カレーを十杯食べるほどカレーが好きという一点でもうダメである。カツカレーを食べるために鹿児島まで行くのもダメだと思う。現在もカレーを好んで食されておられるのであろうか。
書いていてお腹が空いてきたので、スーパーでカレーの材料を買つてカレーを作ることにした。カレーといえばルーである。ルーを買いにいくぞ、ルールルルルッルー。アニメのサザエさんの歌に出てくるあれである。突然始まるルールルルルッルー。聞いた人は口ずさまずにはいられない天才的な作詞、ルールルルルッルー。
だんだん元気が出てきた。スランプの克服法は、基本に立ち返って先輩の背中を見て、スーパーにカレーの材料を買いに行って、道すがらサザエさんの歌を口ずさめばいいのだ。
コロナの後遺症は、思い出してみたら、二十代の頃に受けた治験のアルバイトの後遺症に似ている。精神安定剤を注射して血液濃度を測る日々を二週間くらい続けるアルバイトだつた。お金になるし勉強時間もあるしで良いアルバイトだつたけれど、しばらく後遺症が出て、人と話しているときに全く言葉が思い浮かばなくなつて黙り込んでしまうことがあつた。とはいえ当時お世話になつていた先輩からは、君は静かなところがいいと言われていたので、人生何が幸いするか判つたものではない。
そういうわけで、コロナの後遺症が残る現在の私は、言葉がうまく出てこないような気がする。気がするだけで、こうして言葉を書き綴つているのだから、たいした後遺症ではなさそうだけれど。
キイス中村先輩の背中を見て、久し振りにカレーを作ることにした。独身時代以来、二十五年振りくらいではないだろうか。米を洗つて水に浸してからスーパーに出掛ける。スーパーでじやがいもが三個入つた袋、人参一本、玉葱一個、カレー用の肉、カレールーを買う。ついでにポテトチツプスの大袋と甘えびのえびせんも買う。
すつかり腹が減つていたものだから、貰い物のウヰスキーでハイボールを作つて、ボウルにポテトチツプスとえびせんを盛つて食べた。ハイボールは安くて美味いので、夏には良い酒である。米をざるに空けて水切りしたら、まず野菜を下準備する。じやがいもは一個を使う。芽には毒があるらしいので芽だけ摘んでおく。皮は剥かない。人参もそのまま。玉葱にはプラスチツクのような食べられない皮があるので皮を予め剥がしておく。野菜を平皿に乗せてラツプして電子レンジで三分間加熱する。
次に小さいフライパンを使つて加熱した野菜を肉と一緒に炒める。じやがいも一個が大き過ぎる気がしたので炒めながら三個に分割した。カレーをよく作る人から、カレーは炒め物料理であると教わつたので、ここで少し時間をかけてよく炒めておく。いよいよカレールーの登場である。鍋に水を入れて沸騰させてからカレールーを割り入れて忌憚なく溶かす。ルーが溶けきつたら肉と野菜を入れて弱火で煮込む。ざるに空けておいた米が十分に水切りできたので、蓋をした大きいフライパンで米を中火で炊く。水が沸騰してから十二分間弱火で炊いた後、火を止めて二十分間蒸らす。その間カレー鍋は弱火で煮込み続ける。
結局、カレーを食することができたのは作り始めてから一時間半後であつた。美味い。美味いけれど、カレーは一杯でいい。ごろごろとしたじゃがいもや肉が食べ応え十分である。残つたご飯とカレーをどうしようか考えた末、ご飯はお握り状態にしてラップして冷凍、カレーはボウルに張った水に鍋を浸けて粗熱を取つた後、鍋ごと冷蔵庫に入れることにした。これでしばらく鍋が使えないから、ラーメンは作ることができない。ラーメン用の長葱の残りがあつたのだけれど、一緒に煮込んでしまえばよかつたと後で思つた。
後片付けをした後、眠くなつて二時間も昼寝をしてしまつた。やつぱりカレーはダメである。