第5夜(2024年6月9日) どうやら限界がある


 町田から霞ケ関へ行くのに小田急線の快速急行に乗つた。町田から座つて行つたのだけれど、一つ目の停車駅の新百合ケ丘で脚が悪くて杖をついたおばあさんが乗つてきたので、私は、ああ自分の母親と同じぐらいの歳の頃の人だな、そう考えるとどこか自分の母親のような優しい面影が感じられるな、脚が悪くて気の毒だなと思つて、快く席を譲つた。私はその後は、電車のドアの近くでずつと立つたまま電車に乗つて行つて、代々木上原で反対側のホームの千代田線に乗り換えた。



 代々木上原からも座つて行つたのだけれど、途中の明治神宮前で、開いた電車のドアから二人連れのおばあさんが乗つてきた。二人は私が座つているのと反対側の方の座席で二人座れる席を探して早脚で歩いていたのだけど、二人並んで座れる席は空いていなかつた。一人があきらめて、一人だけ座れる席にもう一人を座らせようと立ち止まつたのだけど、もう一人が脚を止めずにさらに早脚で前方へと歩いて行くので、立ち止まつた人も、先に歩いて行つた人の名前を呼びながら、早脚で前方へと歩いていつた。かなりの早脚だつた。

 歩いて行つた先には、その付近の別のドアから乗つてきた別のおばあさんが丁度のタイミングで現れて、後方から早脚で来たおばあさんを両手でしつかりとつかまえて押し止め、無事に席に座らせることに成功した。和やかに会話をしておられるからきつとお仲間なのだろう。一部始終を見ていた私は、ほつとした。

 無事に座ることができてよかつたですね、脚が早くてお元気ですねと思いながら私が正面に向き直つたら、その途端、今度は私が座つている側の座席で座れる席を探しながら、さらに別のおばあさんが早脚で私の目の前を通り過ぎた。私が席を譲るいとまもなかつたくらいの早脚だつた。そのおばあさんの後方からは、そのおばあさんの名前を呼ぶこれまた別のおばあさんの声もする。私の前を通り過ぎたおばあさんは、早脚の勢いのままに次の車両まで行つてしまい、姿が見えなくなつてしまつた。先ほどのおばあさんを上回る早脚だつた。

 私が驚いてぽかんとしていると、私の席の近くに二人連れの優しげな老夫婦が現れたので、私は快く席を譲つた。



 思い返してみたけれど、早脚で通り過ぎたおばあさんたちには、私の母親のような優しい面影は感じられなかつた。

 そもそも健脚の人に席を譲る必要があつたのかという疑問が生じてしまい、美しい社会的慣習として、人生の先輩に席は譲ろうと思い直したのだけれど、自分の母親のように思つて席を譲るのは、もうやめようと思つた。うん。どうやら限界がある。






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2024/6/9
文責:福武 功蔵