Kalafinaの「君の銀の庭」は、映画「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」のエンディングテーマ曲です。
最初は歌詞の意味が分かりませんでしたが、映画を繰り返し見て、登場人物の心情を考えるうちに、少しずつ、意味が分かってきます。
今日、映画のブルーレイ・ディスクを入手したので、付属の解説を読みました。
映画のラスト部分は、録り直しをして、観客が自由に解釈できるようなエンディングを目指したこと、エンディングテーマ曲も、当事者の心情を離れて、自由に解釈できる内容にしたことが分かりました。なるほど。
そして、―参りました。
曲のタイトルと歌詞に、(金の庭ではなく)「銀の庭」という言葉を選んだ人がいたことに。
なんと言うか、身につまされました。
私自身、これまでの人生で、最高の結果をつかんだことは、ほとんどありません。
手にしている最高のメダルは、弁護士サッカーのアジア大会で得た銀メダルであって、金メダルは持っていません。唯一優勝した、司法修習生時代のクラス対抗サッカー大会は、私にとって最良の思い出です。
銀という色は、少し悲しみを帯びています。
でも、銀は銀として、白く綺麗に輝いています。
「銀の庭」は、自分なりに頑張って、輝かせているという、悲しみと、矜持・喜びの、両方が感じられる言葉だと思います。
そしてもうひとつ。私は、中高生の頃、士郎正宗先生のアップルシードや、永野護先生のファイブスター物語を読んで育ちました。当時は作品のファンは周りに多くなく、数少ない友人と一緒に作品を楽しむのが私にとって喜びでした。
昼食代を削って漫画を買い、心配した親が漫画を捨て、私が再び買うということが繰り返され、今でも持っている作品は、私が本当に好きな作品ばかりなので、事務所の本棚に並べています。
飾られた本棚―これが私の銀の庭なのでしょう。
庭を維持するには、嘘のない、いつまでも続く愛が、鍵となります。
私の場合は、問題なさそうです。本当に好きな作品ばかりで、むしろ、本棚に並ぶこれらの作品が私の人格を構成しているといっても過言ではありません。
他の誰にも理解してもらえないかもしれませんが―その意味では、わがままな銀の庭です。
昔の推理小説を読むと、館の中に書庫があり、本が大切に取り扱われている描写があったりしますが、昔の人も、家の中に銀の庭を持っていたのだろうなあ。
女の人が台所を大事にするのも、銀の庭なのかもしれません。
そして、映画「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」のエンディングのひとつの解釈として、銀の庭―悲しみと矜持・喜びの両方、嘘のない、いつまでも続く愛があったのでしょう。
ここまで感じ至るのに、私は3か月近くかかりました。
まったくもう―「銀の庭」とは。この言葉選びが途轍(とてつ)もなく、すごくて―参りました。