皆既月食の夜。
これが一流の作家かあ。えー。すごいじゃん。こんないい仕事するんだ。
…ポール・オースターの「闇の中の男」を読了したときに私が言った独り言です。
こんなことは初めてです。
世界の、人の心の、機微や神秘。卓越した構成(プロット)。
現在の時事に、物事の本質に、鋭く踏み込む現在性。
どれも個々で見る分にはこれほどまでに驚くことはないのですが、これらが渾然一体となって、いわば総合芸術として眼前に現れて、心地よい読後感とともに作品から離脱したときに、私は本当に驚いてしまいました。
ベースとなるのは、最後に述べた現在性。
現在抱くこの新鮮な情熱を、何とかして良い形で読者に届けたい、それにはどのような構成が、どのようなコンテンツが有効なのだろうかという真摯な問いかけから、小説のプロット作りが始まるのでしょう。
この方式が非常に有効であるように思えるのは、プロットが完成した後にも情熱が残るので筆が進みやすいし、筆を進める間もプロットを意識して情熱の量をコントロールすることができそうだからです。
読後感の良さは、この作品の特別に良いところであり、
そのためのプロット作りだったのだと、私は確信しております。
作中の主人公の台詞。
「人間がたがいに対して為すおぞましい行為が、決して単なる例外・逸脱ではなく、むしろ人間の本質的要素なのだということを、どうにかして彼女が学んでくれないものか。そうすれば、あそこまで苦しまずに済むと思うのだ。」(文庫版246頁)
このように、現在について諦めてしまって、自分の中で折り合いをつけて、とにかく次の未来を見るという未来でもよいし、
過去は教訓として、より良い未来を追求する未来でもよいのです(私はこちらです。)。
未来がどうなるかについて、この作品はあえて何も言及していません。
じっさいのアメリカ市民の感覚も、これに近いものだろうと思われます―現在について、諦めている人もいれば、諦めていない人もいるというように。
まどかマギカを見終わって気が付いたことは、エンディングを変えるだけでも作品は良くなること、そして、良いエンディングの作品は良いということです。
近い未来に公開される予定のまどかマギカの新作が、良いエンディングを迎えることを祈っています。