功利主義をぶっ壊した。
「ぶっ壊す」じゃなく「ぶっ壊した」なのは、ジョジョ第5部のプロシュート兄貴にあやかってのことです。
…オレたちは、「ぶっ壊す」とは言わない。その言葉を頭の中に思い浮かべた瞬間には、既に壊しているからだ。…なんてね。
「まどかマギカ」から学ぶことは数多くあるのですが、そのひとつが、利己(自分のため)と一致しない利他(他人のため)はやがて絶望に変わるということ。
無理して他人のために働くことは、全然サステナブルではないのです。
功利主義とは、「最大多数の最大幸福」とか「効率の重視、効率こそ正義」という考え方で、単純に富の最大化を目指す資本主義と実によくマッチする考え方です。
資本主義ってどこか血が通っていない、人間的ではない、と感じられるとき、たぶんですが、その理由は資本主義の背後に流れる功利主義にあります。
どういうことかと言えば、功利主義は、個々の人間を尊重していないのです。人間を取り替え可能な部品のように扱い、全体として良い結果が出ればよいという考えが、まったくもって人間的でないのです。
この功利主義の考え方は、日常のそこかしこに潜んでいます。
今朝は、10月下旬にしては暖かい陽射しが出ていました。
「今日はとってもあったかいよ」
このように妻へ連絡しました。そして気付きました。
少し前に、エンパワーメントについて書きました。
エンパワーメントとは、元気づける、勇気づけることであり、パワーが重要です。
パワーが重要なのに、よく見られる表記は、「エンパワメント」です。一文字削って効率をよくしようということでしょうが、「パワ」と「パワー」では力強さが大きく異なってしまうように思います。
「とっても」「あったかい」もそうです。
「とても」よりも「とっても」の方が大きく強調できるし、「あたたかい」よりも「あったかい」の方がずっと暖かいです。
それなのに、これまで私は「とてもあたたかい」と表現してしまっていました。
無意識のうちに効率やお行儀を重視してしまう。日常に潜む功利主義の毒とでも言いましょうか。
会社は、多くの人で組織的に仕事をしますから、効率が求められます―
…と皆さん思っていると思います。これも日常に潜む功利主義の毒です。
効率を考えるのは、効率を考える立場の人が考えればよいのです。
それ以外の人は、効率ではなく、いかに利他(他人のため)を利己(自分のため)に紐付けるかを考えることが重要だと思います。
例えば、複数の場所に配達をする仕事を考えます。
配達をする人が考えるべきことは、効率ではなく、例えば、どのような順番で配達するのが心地良いか(あるいはエレガントないしスタイリッシュか)です。
心地良ければ(あるいはエレガントないしスタイリッシュであれば)、今度も配達を続けることができるでしょう。幸いにも多くの場合、エレガントないしスタイリッシュな行動は、同時に効率の良い行動であったりします。
功利主義の毒がそこかしこに潜む現状では、むしろ、功利主義に対しはっきりと反旗を翻した方が、問題解決の近道になるかもしれません。
功利主義は、人間性に反するというその一点において、正義でも何でもないのです。あえて言えば、効率良く富を集めたい資本家だけの正義ですね。
効率の良い仕事のやり方ではなく、自分に合った仕事のやり方を探しましょう。それがサステナブルということであり、結果として効率が良ければそれでよし、効率が悪くても自分にとってサステナブルな仕事のやり方であれば、それでよいのだと思います。