第133回 重力に関する仮説の巻


 重力に関する仮説。重力といっても、人と人の間に働く重力のことです。



 私たちは無意識というものを持っています。コンピューターのマルチコアCPUになぞらえると分かりやすい。脳内も同時に複数の演算を行っているのです。

 脳内にはメインとなる人格を表すコアと、サブのコアがあります。たとえば、すごく可愛らしい人が自動車の運転は豪快だったりすることがあります。メインとなる人格のコアは可愛らしく、サブの運転を司るコアが豪快なわけであり、矛盾しません。

 サブのコアはメインのコアから認識できない場合があり、この場合はサブのコアが無意識となるのです。



 重力の正体は、人々の無意識だということが分かりました。



 きっかけは、西の果ての島国であるイングランドにはジェントルマン(紳士)がいて、東の果ての島国である日本にはサムライ(士)がいたことが面白い符合だなあと思ったこと。島国は、外の大陸へ出るには飛行機か船を使わなければならず、脱出は簡単ではありません。

 ネガティブな言い方をすれば、この地から出ることが難しいということであり、ポジティブな言い方をすればこの地に住み続けたいということであり、いずれにしても人々には、周囲の人の動静に気を配るという無意識が働きます。

 この、周囲の人に気を配るという人々の集団的な無意識が、重力の正体なのです。



 重力が重いと感じるならば、端的に国外へ脱出すればよい。江戸時代なら脱藩であり、現代なら海外移住です。物理的に重力から逃げて自由になることができます。

 もうひとつの方法は、重力に負けない心の推進力を持つ、すなわち何らかの志を立てることです。志とは心の向かう方向であり、志が定まっていれば、精神的に重力から逃げることができます(こちらの方がおすすめです。)。



 そもそも、重力など不要なのではないかという疑問がわくことでしょう。

 アメリカを見てみましょう。国の成り立ちからして、従前のしがらみが無いアメリカは、無重力に近く、周囲の人に気を配るという人々の集団的な無意識は低いと考えられます。

 アメリカに留学した友人がspacyだと言っていた意味が、空間がたっぷりあるという本来の意味のほかに、ダブルミーニングで、宇宙に近い無重力を意味することに気付きました。アメリカはスペーシーなのです。日本の重い重力と比較すると、軽くて解放されたような気分を味わうことができます。



 しかし、アメリカの人々は、家族という重力の核をとても大切にしています。

 政府の関与はどちらかと言えば薄く、近所の助け合いで日々を乗り切っています。

 人が安定して生きていくには、重力はやはり必要なのです。



 話は変わりますが、いわゆる引きこもりの人が、最初に引きこもった原因は、重力を嫌ったからなのだと思います。

 引きこもっているうちに、心身ともに回復するのですが、今度は重力の無い生活に慣れてしまい、無重力の生活から脱出できなくなってしまいます。

 よく言われるように、引きこもりの人には、停泊する港を用意してあげる必要があります。

 引きこもりの人は、参加してよいものかどうか迷うでしょうから、参加の必要性を考えるハードルが低い、同好の士の集いや、土いじりの会が良いように思います。



 人と人の間に重力が働くことは、荒木飛呂彦先生がジョジョの第6部で発表した大発見です。

 第6部では、会いたいという強い無意識が相互作用することにより、人と人は必ず出会うという奇蹟と感動とが描かれています。

 会いたいという無意識があればなぜ会えるのか、私にはまだその仕組みは分かっておりません。ただ、これまでの人生において、人と人は必ず出会うということは、実感として確かにあるのです。いつかその仕組みも解明してみたいと思います。


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2022/9/16
文責:福武 功蔵