自由、freedom(※)という言葉について。
政治がどのようにあるべきかについて言えば、自由とは、政治が行われないことを求める点で画期的です。
放っておいてくれというわけです。いわば数学におけるゼロの発明のようなものであります。
自由という言葉は、このような政治的文脈に止まりません。
先だって、自由という言葉から個人の尊重という言葉を導き出しましたが、自由という言葉にはさらに先があるのです。
例えば、坂本龍馬を同時代人が評するとき、
未だ自由という言葉は広まっていなかったわけですから、何物にもとらわれない人という評になるでありましょう。
何物にもとらわれないという表現は、重力からの解放を暗示しています。
地球上では重力が働くから、重力が働かないのは宇宙にある人です。
われわれ人類の祖は、宇宙から来たという説があります。
この説に従うと、自由という言葉が重力からの解放を意味するとき、それは宇宙から来た人類の祖の記憶、つまり原初の記憶と結び付きます。
こちらも、記憶の順番で言えばゼロなのです。
自由という言葉に感じる何か深い感覚は、このあたりに理由があるのかもしれません。
※ 自由という言葉の元となった英語は、ほかにlibertyというものがあり、こちらは派生してliberal(リベラル)となります。
ラテン語liberが語源ですが、liberは古英語に入ってleodとなり、進歩とかリーダーという意味合いを持つようになります。
リベラルという言葉に感じる、単なる自由ではない余計な何かは、このあたりに原因がありそうです。