何かが間違っているというお話。
ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻が始まって1月以上が経ちました。テレビや新聞を見るとロシアに対する経済的制裁やウクライナへの協力というニュースが目につきます。その他にも戦場の生々しいレポートなど、怖い話ばかりで、テレビを付けるのに躊躇するこの頃であります。コメンテーターの話も、仕方のないことではあるが、痛々しいほどに薄く、とても見ていられないように思ってしまいます。
この情勢が他人事ではないといろいろな意味で感じられるのは私が日本人であるからでしょうか。今から約80年前のこと、第二次世界大戦・太平洋戦争で大国アメリカと戦った日本は、当時、今のロシアと似たような経済制裁を受ける立場に置かれていました。そして日本は敗れました。
しかしロシアが敗れることはなさそうです。ロシアが大国であることが改めてよく分かりました。アメリカと中国もそうですが、大国は国土が広い。攻め落とそうとしたところで、絶望的に国土が広く、無理なのです。また、資源も技術も豊富にあるので、経済制裁を受けても自前の資源や技術で何とかなってしまいます。
何かが間違っていると思うのは、武力に対し武力で対抗しても問題の解決にならないように思われるからです。騒々しい人がいるときに「うるさい」と怒鳴るとその人が一番うるさくなってしまうのに少し似ています。何かちがうレベルのことを考える必要があります。
落ち着いて考えてみると、武力侵攻も抗戦も、ロシアという国とウクライナという国が行っていることであり、国と離れて改めて考えてみることは可能です。国というものは究極的には暴力装置であり、できるならば普段の生活では関わりたくないものなのです。
国同士が争っていても、それぞれの国民がつながることは本来は可能なはずです。世界のそれぞれの国民がそれぞれにつながり合って、経済を回し友好を深め、最終的には戦争をしている政府が恥ずかしく思うレベルに至るというのが、求められるべき解決というものでありましょう。
そう考えると、経済制裁というものは、そのような解決方法の途を閉ざすことになってしまうから、あまりやらないほうがよいと思うのです。経済をつなげつつも戦争に反対する意思を明確に示し続けるというのが、この難しい状況の中で、あるべき国のあり方であるように思います。
厳しい戦争の現実を前に、何を甘いことをと思われる向きはあるかもしれません。しかし、経済制裁は実を上げているのか、ロシアに攻め入ってプーチン大統領を制圧する手立てはあるのかと具体的に考えていくと、いずれもノーという回答に突き当たります。甘いのではなく、現実的に考えると、このある面では厳しい、荘厳な解決方法に至るように思います。
追記:フランスのジャック・アタリさんが、似たようなことを言っておられるそうです。ちょっと安心しました。