第101回 古の慣わしの巻


 古い慣習、または古(いにしえ)の慣わし。人間の脳には古い機能が多く、その中に古い慣習が今でも入っているのだなあという話。

 人間の脳は、古い順に、爬虫類脳、哺乳類脳、人間脳とあるそうです。面白いですね。



 先日、ゴルフのマスターズで日本人の松山英樹選手が優勝しました。

 すごい!

 ものすごい快挙だ!

 他の日本人ゴルフプロの選手も、「日本人でもマスターズを優勝できると知って、励みになる」とコメントしておられました。

 大きな喜びです。日本人として誇らしい。私もそう思って喜びました。



 何日か経って。

 「日本人として誇らしい」って何だろう。ふと疑問に思いました。

 考えてみたら、私は「日本人として誇らしい」と何度か思ったことはあるのですが、「人間として誇らしい」と思ったことは一度もないのです。なぜなのでしょうか。



 「人間として誇らしい」と言う場合には、人間以外のものと比べているのです。例えば犬やトカゲでしょうか。でも私はわざわざ人間と犬やトカゲを比べて、人間でよかったなあと思ったことは無いのです。そりゃ人間でよかったなあでしょうが、なぜ比べるのか。皆さんもそうでしょう。「人間として誇らしい」はナシです。

 ではどうして「日本人として誇らしい」はアリなのか。

 日本人とは何かというと、日本列島に住んで日本語を話す人間、くらいの曖昧な定義しかできないと思います。外国に住む日本人もいますから、いっそ日本語を話すことができれば日本人だと言ってもよいと思いますが、ここまで来ると日本語を話す地球人という表現でよいような気がします。

 さて、「日本人として誇らしい」は、そんな曖昧な「日本人」を、これまた曖昧な他の民族と比べているのです。どうしてそんな意味のないことをしてしまうのでしょうか。



 誇りとは、おそらく、古来の戦争において士気を上げるための、集団的な感情、慣習だったのではないかと思います。大昔は部族単位で暮らし、他の部族と戦争をしていたので、自分の部族が優れていると思い込んで戦うことが必要だったのでしょう。

 現代の世界では、そのような部族単位の戦争はほとんど存在しないのですが、人間の脳には古い機能が多いので、部族の誇りという感情、慣習はしっかりと残っているのだと思われます。

 なので、「日本人として誇らしい」とうれしく思う場合には、喜ぶ一方で、これは古い慣習なのだな(または古の慣わしだな)と理解しておくのがよいように思います。・・・どうでもよい話かもしれませんね。

 ところで、現代の世界に合わせて言うならば、日本人→日本語を話す地球人、日本国→日本列島(または日本地方)と表現するのがよいと思います。ちょっとやってみましょう。



 先日の、イスラエル地方におけるガザ地方との爆撃とロケット弾の応酬の末に、エジプト地方政府とアメリカ地方政府が関与した停戦合意が成立したという一連のニュースにおいて、もちろん戦争には反対するのですが、私はイスラエル地方の、狙ったビルをピンポイントで破壊する爆撃の技術の高さや、ロケット弾に対抗して大量に撃たれた迎撃ミサイルの映像を見て、イスラエル地方の軍事技術の高さに驚き、今後もイスラエル地方は軍事技術に特化した地方として存続していくのだろうなと思いました。

 ・・・読み辛いかなあ。





追記:昆虫など個体数の多いものについて、集合知というものが考えられないだろうか、という疑問から、

人間についても集合知があり得て、それは魂と呼ばれるものなのかもしれない…と考えたときに、本稿の記述にはまだ続きが存在するような気がしています。

 


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2021/5/22、2022/8/28追記
文責:福武 功蔵