第100回 郊外都市と地方都市圏の巻


 先日来の宿題に答えが見つかりました―

 都市部で老人が不要になるのは、労働を中心に生活を考えた結果です。では労働を中心に生活を考えることは、良いことなのでしょうか。

 労働は、社会を動かす動力であり、個人にとってはお金がかからないコミュニティです。コミュニティは、個人を助ける相互扶助の仕組みと理解できます。労働はとても大切な事柄なのです。

 しかし、人の一生は労働だけではありません。学習があり成長があり、他の人を生み育て、他の人の死を見届けながら、一緒に歳を取っていくものです。

 子どもを育てることを考えてみます。老人はけっして不要ではありません。子どもは他の人の背中を見て育ちますから、老人の背中を見て育つのは大きくプラスになります。

 老人の死を看取ることを考えてみます。当然に老人の存在は必要となります。

 ここで、老人の死を看取るということはどういうことかに気が付きました。それは、老人と一緒に居るということです。人間、歳を取れば取るほど、一緒に居てくれる人は減るものですから。ではどこで、一緒に居るのが良いか。老人が住む家で、一緒に居ることが一番良いのです。

 老人にはその人なりの、一日の過ごし方、ルーティンがあります。生活リズムといってもよい。長く同じ地で暮らしていたからこそ老人になるのです。その地を離れて別の地で新たな生活をすることはベストではなく、人によっては寿命を縮めてしまうかもしれません。

 ここで、さらに気が付いてしまいました。人間、一生のどこかの時点で、生涯をここで終えるという場所を定める必要があることを。それは老人になってからでは遅いのであって、もっと早い時期に、老人になる前に決めるのが望ましいと言えます。ゆったりと一日を過ごすことのできる場所を、過ごし方を、決める必要があるように思いました。

 人生の半ばを過ぎたら、生涯を終える地を決めてそこで生活するのがよく、その地では老人は不要ではなく、必要です。

 現代の日本は超が付く高齢化社会、人口減少社会です。都会に働きに出た人が老後を過ごすために郷里へ戻ると既に郷里のコミュニティが滅びてしまっていた―このような図式が想像されます。

 結局、サステナブル(持続可能)という意味で理想的なのは、働き盛りの年代が高齢者と同居する、昔ながらの大家族です。そのような大家族を多く持つことができるのは、過疎化する山間部でも過密な都心部でもなく、おそらくは人口50万人程度の中規模の郊外都市や地方都市圏でしょう。

 コロナ禍の下で、リモートワークが可能なことも分かってきました。日本の未来は、郊外都市や地方都市圏にあるように思います。

   


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2021/3/28
文責:福武 功蔵