第52回 今日の読書ノート(建築史)の巻


 今日の読書ノートは、実況近代建築史講義。じっさいの早稲田大学の講義を聴いた気になることができる。現代日本における建築様式について考えをめぐらすために、建築史を学ぼうと思って買った。とても面白かった。

 建築の思想として、いくつかのものがある。

 まず自然の模倣。心が安らぐ自然の情景を模倣する。

 次に自然の畏敬。大きなもの、激しいものを見ると人は畏敬の念に打たれる。教会や寺院の建築はこの典型であろう。

 最後に平和。人間の感覚はあくまでも相対的なものであるから、平和を示すにはまず戦争を示してからその戦争の終結を示すとよい。この意味で古戦場や廃墟は、人の心を癒やす。昔、兵器が苔むしてその上に広がる芝生の上で少女とロボットが語り合っていた漫画を読んで平和を感じたことがあったが、同じロジックだと思う。

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 1/fゆらぎと言われるものは、生物のリズムを表現したものであるから、広く言えば自然の模倣に入る。建築で言えば規則性からの離脱である。最近散歩していて、レンガではなく様々な大きさの石をレンガ状にモルタルを交えて積んだ壁があり、癒やしを感じた。規則性が高すぎると人は緊張して疲れるが、このように適度に不規則なものを見ると癒やしを感じる。効率や数学的な美しさを重視した丸の内界隈の高層ビルは人を疲れさせるように思う。

 ところで、この本を買ったのは、私が最近考えていた建築の構想が、木の上に家を作ることだったのだが、それを実現している家の写真が載っていたので、興味を惹かれたからである。

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 これは藤森照信先生の「高過庵」という木の上の茶室である。画像はインターネット上から拾ってきたものであり、著作権の所在が分からないが、説明のための引用ということでご勘弁頂きたい。いつか実際に見てみたいと思っている。

 私が最近考えていたのは、哺乳類は昔は鳥類だったのではないかということである。哺乳類は母親が赤ちゃんに母乳を飲ませて育てるのであるが、人間の場合その期間は半年程度であり、大掛かりな割に期間が短いと思い、なぜそのようなことになったのかを考えてみた。

 は虫類にも子育てはあるが、親が子どもに餌を与えたりはしないそうである。鳥類はどうかというと、親鳥が生きたミミズを口の中に入れて巣に戻り、雛鳥に食べさせる映像を見たことがある。わざわざ餌を食べずに持ち帰るのは手間であり大変である。親鳥が餌を食べて、親鳥から母乳が出て雛鳥を育てることができればいいなあ、というのは鳥類の夢なのである。ただ、じっさいに母乳が出るようになると、手で抱っこして母乳を飲ませる方がやりやすい。こうして人間は翼を失う代わりに抱っこする両手を持つようになった、このように考えた。

 ちょっと話が長くなったが、要するに、人間は昔は鳥だったのではないかということである。だから木の上の家があれば、昔を思い出して癒やされるのではないかと思うのである。同様に、もっと昔は人間は魚だったのだから、水中の家があればこれはこれで癒やされるのではないかと考えている。

 昨晩、久しぶりにかなり大きな地震があり、木の上の家は、結構揺れたかもしれない。家具があれば倒れるから、壁自体を家具にするなど工夫が必要かもしれない、シェルターになるコアな部屋が一つあると安心かもしれない、などと想像するのが、何とも楽しい。



 追記:建築史の本と思って読んでいたら、次のような現代社会に対する鋭い指摘を含む記述があった。

 現在、地球上の半分以上の建築は機械のために存在していると言えるかもしれません(中略)・・・オフィスビルは曖昧です。オフィスとは、人間の生物的な振る舞いが制限されている場所、つまり人間がなかば機械となることで生産工程に参画する場所だからです。ここから工場建築への距離は遠くありません。一方で、労働者の家は休むことさえできればよくなります。都市部では急速に住まいが狭くなり、老人が不要になって、伝統的な村落共同体の紐帯は分断され、その結果、いわゆる核家族が増えていきます。(以上、中谷礼二「実況近代建築史講義」59〜60頁)



 この指摘に対する回答はすぐにはまとまりそうにありませんが、何とか考えてみたいと思います。

 


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2021/2/14
文責:福武 功蔵