第5回 あたりまえの話の巻


 あたりまえの話。

 私は気付くのに50年近くかかりました。遅いような気もするし、意外に早いような気もします。

 朝起きて空を見上げる。

 家でご飯を食べて出掛ける。

 自分の足で歩く。昼が過ぎる。夕方になり西の空を見る。

 家に帰りご飯を食べる。暗い夜に眠る。

 この繰り返し。これが人生。



 一緒にご飯を食べる人。一緒に夜眠る人。

 これが家族。



 あたりまえの話です。



 もしあなたに、よく一緒にご飯を食べる友人がいれば、その友人はあなたの家族です。





 少し、お金の話をします―

 先日、レストランで小さいコロッケを食べました。

 あたりまえの話だと思われるでしょうか。



 コロッケの衣は小麦粉。

 小麦は北海道の広大な畑や、さらに広大な北米の畑で作られ、製粉場で機械を使って製粉され、船や自動車で運ばれてきました。

 コロッケの中身は魚のすり身。

 魚は漁船が沖の海で釣ってきます。魚のすり身は加工場で加工され、運ばれてきました。

 味付けに、塩。

 塩は、長い時間をかけて海水を干して作られ、運ばれてきました。

 目には見えないものがあります―料理人のレシピ。

 コロッケのレシピには多くの料理人たちによる、長い歴史、多くの工夫があります。



 私がコロッケを食べるのに5分とかかりませんが、

 ゼロからコロッケを作るとなると、途方もない時間と労力と工夫が必要になります。一人でやると一生を費やすことになるかもしれない。

 レストランでコロッケを食べること、これはあたりまえの話ではないのです。ありがたい話。



 どうしてそのような、ありがたい話が成り立つのかというと、

 ここにお金という仕組みが関わってきます。

 農家も漁師も職人も、運送も小売店もレストランも、誰しもが、その仕事を続けるのに仕入れが必要になります。

 農家なら肥料や農薬、漁師なら船の燃料や漁具の仕入れが必要で、仕入れの決済にお金という仕組みを使います。

 お金という決済のシステムがあるから、世の中―農家や漁師や職人や運送や小売店やレストランが回り、私はコロッケを食べることができるのです。ありがたいことであります。



 お金はありがたい。でも、お金は人生ではないし家族でもない。単なる決済のシステムです。

 お金に振り回されず、毎日の積み重ねや家族を大切にして、生きていきたいと思います。

 朝起きて空を見上げる。家族と仲良くして夜一緒に眠る。そういうあたりまえの営みが大切だと思うのです。



 


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2020/12/11
文責:福武 功蔵