What if god was one of us?
・・・という歌が1995年に流行りました。
もし神が、私たちの一人(と同じような人)だったら?
今回のアメリカ大統領選挙が終わって、そのような印象を持ちました。
アメリカでは、大統領は尊敬の対象となっています。大統領の方でも国民から尊敬されるよう、立ち居振る舞いに気を配ります。
・・・という伝統から、トランプ大統領は外れていました。素直だったのかもしれない、と思います。冗談を言ったり、イライラしたり、神ではなく、普通の一個人として振る舞っていました。
今の時点で振り返ると、トランプの政策がアメリカ社会の分断を加速させたという話は、よく分からないのです。
それよりも、トランプが感情を表に表す一個人として振る舞ったことが、トランプ派と反トランプ派の分断を生んだように感じられます。
アメリカ大統領選挙は、対岸の火事のように眺めていましたが、日本に置き換えて考えると、決して対岸の火事ではなく、日本でも起きうる話です。
日本では国民の尊敬を集める対象は総理大臣ではなく、天皇です。
日本の歴史に照らしても、誰が天皇にふさわしいかについて国論が二分された場合は、今回のアメリカ大統領戦のような、国民間の対立が起きることが容易に想像されます。
このように考えてみて、心配になったのはフランスです。
フランスもアメリカ同様、国王を置かない国なので、マクロン大統領が国のトップですが、
そのマクロン大統領は、イスラム風刺画について、風刺画を擁護する発言をしており
(70分間の演説の一部が切り取られており、誤解であるという弁明はありますが)、
分断を生むリスクのある発言になってしまっています。
タイやドイツなど、もう少し、各国における国王のお立場や国王を置かない場合の工夫を見てみたい気もしますが、
国の統一という大きなテーマを、選挙で選ばれた一個人に委ねてしまうのは、
制度としては難しく、安定しないのではないかと思っています。