なぜか逆だけど、という話。
2歳児が、0歳児とその母親と、テレビ電話をするというほほえましい場面に遭遇して、考えました。
その日の夕方は、とある郊外の町で人を待って立っていたのですが、通り過ぎる自転車の乗り手が皆高齢者なのが目立つなあと思ったところでした。
社会って何だろうと考えたときに、人々が子育てをする上で相互に協力する必要から生まれたものである、という説があります。
この説によれば社会の基盤となるのは、子育てをする夫婦と子どもたちということになります。
もちろんこれは一つの説に過ぎません。他にいくらでも社会の成り立ちについての考え方はあるでしょう。
ただ、私としては、2歳児と0歳児のテレビ電話の情景に圧倒的に心を揺さぶられたのです。
ほほえましいし、元気があるし、元気をもらえる。
高齢者が乗る自転車が通り過ぎるだけの町と比べると、2歳児と0歳児、その母親たちの存在感は、圧倒的という言葉がぴったりくるのです。
社会は、子育てをする夫婦と子どもたちを基盤とすべきなのではないだろうか、と思いました。年齢層でいえば0歳から50歳前までであります。
そうだとすると、あと数年で50歳になる私は、社会の基盤から外れていくわけであります。子育てについて語り合う若い母親たちと、私は同じく語る立場にはないように思います。
ではどういう立場なのでしょうか。私もかつては小さな子どもを持つ親だったから、経験者というところでしょうか。
英語だとOB、OG(old boy, old girl)です。
なるほどこれから私は、OBとして社会に関わっていけばよいのだなと腑に落ちました。
OB、OGか。英語って便利だなあと思ったが、考えてみると日本語にも同じような言葉がありました。
おーじい、おーばあ・・・
英語と比べると性別が、なぜか逆だけど。