第36回 集団的自衛権についての巻


 TBSのサンデーモーニングという番組内で、ようやくまっとうな報道がありました。

 タイミングは、集団的自衛権へ舵を切った関連法案が成立した平成27年9月18日の2日後である20日の朝。もっと早く報道できなかったのかと思いますが、報道しないよりはよかったと思います。

 内容は、政府がロンドンでの武器見本市に正式に出展するというもの。政府は1年前、すでに武器輸出の原則を緩和していました。



 私は、集団的自衛権に関する法案が「経済的な理由によるもの」と閣僚が話していたのを、テレビで見たことがあります。

 安倍首相及び自民党の中心部の議員は、このたびの立法、強行採決のとき、アメリカ及び連合国から押しつけられた平和憲法という「歪んだ」状態を是正する千載一遇の機会を逃したくないという一心だったと思います。

 しかし戦後70年の運用で、集団的自衛権などなくても十分に対応できることが分かっています。

 むしろ自衛隊という実力部隊を表向きは軍隊ではないとして平和国家の建前を貫く方が、第二次世界大戦後の世界情勢には合っていたと思います。

 集団的自衛権へ舵を切る法案の合理性として唯一存在したのは、武器の開発と輸出だったのでしょう。法案成立により、武器の開発・輸出がやりやすくなるのでしょう。



 現在、どの業種でもそうですが、世界全体の企業同士での熾烈な戦いとなっており軍需産業も例外ではありません。

 国内の企業が世界的な企業に立ち打ちできなくなると、最悪、国内の武器装備を輸入に頼るということにもなりかねない。しかし、武器輸出により他国で戦争が起きてしまうと、平和国家という日本の看板は地に墜ちます。どうすべきなのか。

 難しい選択ですが、やはり武器輸出はせずに、国内需要に特化する方がよいと思いました。



 大きな視点で言えば、21世紀に戦争は必要ないです。

 過去にいろいろな戦争がありましたが、すべて経済目的だったと言ってよいと思います。

 大義や理想だけで、何万人もの人間が長い間協働することはできないからです。

 特に昔は食料が不足していました。食うために軍隊に入る、食うために略奪をするということが普通にあったのだと思います。

 権力争いも結局は、権力を取った方が経済的に潤うという意味で、経済目的です。

 20世紀半ばから事態は一変しました。食料生産技術の向上により全員が食べていけるだけの食料が供給されるようになったのです。

 そうなると戦争はナンセンスです。武器で隣人を略奪するよりも隣人と協働してより良い楽しい社会を作った方がよいに決まっています。



 第二次大戦よりも後の戦争は、「そこに武器があるから戦争をする」「軍隊がいるから戦争をする」というものが多かったように思います。

 もし武器がなければ話し合いで解決したであろうことが、そこに武器があったために戦争になってしまった。

 現在、アフリカの多くの地で戦争が起きているのは、だぶついた武器が流れ込んでいて、話し合いで解決するようなことまで戦争にしてしまっているからなのだと思います。

 大きな視点で言えば、現在戦争が起きているのは、武器を製造・輸出する業者がいるから、という構図になっていることは間違いないと思うのです。

 武器の製造・輸出について、もっと関心を持ち、もっと情報公開を求め、もっと議論していく必要があります。



 21世紀が平和の世紀になるという期待は今のところ失望に変わっています。

 民主主義こそが歴史が示した人類の叡智、政治の最終形態だと思っていましたが、

 アメリカの辿った道を見ると、巨大企業がキャスティングボードを握り、貧富の差は絶望的で、国のためなら自由すら奪われるという、品格のない営利追求のみを目的とした国になってしまうおそれがあるように思いました。

 国政における品格という意味で、天皇制を含む立憲君主制というものを再評価する必要を感じています。

 また、中東・北アフリカでの独裁制崩壊後の政治的混乱を見るにつけ、最低限、国としての共通理解ができていないと民主政そのものが成立しないことが分かってきました。

 日本では、徳川幕府の統治があった江戸時代において、国としての一体感が大きく深まったのだと思います。国としての共通理解を得るためには、長い時間をかけて国民が同じ文化を共有することが必要なのでしょう。

 歴史は段階を踏んで進むのであって、独裁体制といえども外圧で無理矢理に政治体制を崩壊させてしまうと、歴史の針を逆に戻してしまうというのが現実なのでしょうか。

 辛い話だけれど。




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2015/10/18
文責:福武 功蔵