第33回 政教分離と民兵分離についての巻


 政教分離というのは、政治に宗教を持ち込まないということです。

 宗教は巨大なファンクラブなので、政治に宗教を持ち込んでしまうと、せっかく民主制であっても常に宗教のトップが政権に就くということになり、

 しかもトップを誰にするかは宗教内部の事情によるわけで、そして反対派には宗教内部での制裁が可能となってしまうわけで、

 民主制の効果が全く上がらないということになってしまいます。



 民兵分離というのは、市民と兵(兵器と兵士の両方を含む)を分離するということです。

 最近のアメリカの事件を見ていて、市民と武器を分離することの大切さを痛感しました。

 最近のアメリカの事件というのは、警察官が市民を射殺し、撃った理由が、銃を奪われそうになったから撃った、というものです。

 警察官が不起訴となったため、市民による暴動が起きました。

 この事件はそもそも、警察官が、いつ銃を持った市民に命を奪われるか分からないという緊張状態の中で仕事をすることによって起きています。

 市民が銃を持っているのが原因なのです。



 銃は、素手の格闘で勝てない相手を倒すための道具、

 相手との間の紛争を徹底的な暴力によって解決するための道具です。

 銃があるかぎり、市民と市民が、問題解決を非暴力的な形で実現するという、市民社会の成熟は望めません。

 アメリカは現状そういう状態にあります。あと1000年経てば良い国になるかもしれませんが、現状は日本の戦国時代のようなものだと思います。



 銃のないところで、はじめて市民と市民が、問題解決に向けて様々な努力を始めます。

 問題解決に必要なのは、多くの場合、武力ではなく、ちょっとした工夫です。

 工夫を積み重ねてこそ、市民社会は成熟してゆくのであり、それには長い時間が必要となります。

 このような長い時間を積み重ねることができたのは、日本と欧州と東南アジアくらいで、他の国はまだこれから積み重ねていくところなのだと思います。

 戦国時代に生まれたかったな、と思う人は、海外へ行くと良い人生を歩めるかもしれません。




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2014/12/15
文責:福武 功蔵