少し前まで、新しい言葉を開発しては大騒ぎするということが普通に行われていました。
たとえばアイデンティティーという言葉です。
たしかに、従来の言語になかったものを新しいものとして輸入することは重要ですが、
新しいイコール素晴らしいということではありません。有益とも限りません。
わたしは言葉をかんたんにすることに魅力を感じています。
たとえば、哲学という言葉があります。
この哲学とは何ぞやと考えると…
「これまで人間が考えてきたことすべて」
と考えると分かりやすいと思うのです。
西洋のアカデミズムは学問を体系化し、
これまで人間が考えてきたことを分類してそれぞれに別の名前を与え、
分類できなかった澱のようのものだけを哲学と呼んでいるようです。
でも結局は、哲学とは、これまで人間が考えてきたことをいうのであって、
プラトンの哲学とは、プラトンが考えてきたことをいうのです。
ニュートンが考えてきたことをニュートンの哲学といってもいっこうに差し支えありません。
別名として、物理学と呼ばれているというだけのことです。
もっとも、東洋では、もともと学問とは、いかに生きるべきかという問題以外にはないそうです。
この意味で学問イコール哲学ということがとてもしっくり来ます。
夢とは希望とは何ぞや、ということをこのサイトのどこかに書きました。
言葉をかんたんにするということは、
言葉の意味についてしっくりくる説明を考えるということでもあります。
ここでは、仕事、趣味、病気という言葉について、しっくりくる説明を考えてみます。
「仕事」とはしなくてはならないこと、避けて通れないことですから…
現代の状況で、避けて通れないことは何でしょうか。
それは、ひとが死に至る過程で通る、病ではないでしょうか。
そこで、「仕事」という言葉の説明としては、「病気」がぴったりあてはまると思います。
この用法でいえば、「就職」とは持病を持つことになりますね。
「趣味」とは、自ら選んで行うことなので…
現代の状況では、「仕事」があてはまるように思います。
昔とちがい、職業を選べるというのは本当によいことだと思います。
この用法でいえば、良い「趣味」をしていますねえというのは、良い仕事に就きましたねえというくらいの意味です。
「趣味が変わった」というのは転職したということですね。
「病気」は、治る・治らないはともかくとして、
病、つまり正常な状態とは異なるという意味ですから…
現代の状況では、正常な状態を通り越してのめり込む、「趣味」があてはまるように思います。
この用法でいえば、「病気」はパチンコです、という場合は、パチンコが好きで止められないという意味です。
もちろんパチンコに限らずサーフィンでもゴルフでも何でもよいのですが、
趣味はそれなりにお金がかかることが多いです。
読書や散歩はそれほどお金がかからずに済むので、
まずまず「健康的な病気」?というところでしょうか。