第30回 人間しかいないのだの巻


 人間は存在します。

 人間以外のものは存在しない…

 

 …これは犬や猫が存在しないということを言いたいのではありません。

 余談ですが、犬や猫が言語を聞いて理解していることは大いにあり得ると思います。

 ただ発話ができないだけだと思います。

 

 今回言いたいことは、国家や企業がほんとうには存在しないということ…

 少なくとも、人間抜きに存在するものではないということなのです。

 国家や企業は、たかだか百年あるいは数百年程度の歴史しかないものであるにもかかわらず、

 (人間の歴史は数億年ですよ、数億年。)  今日では、あたかもそれが独自に存在するかのように思われています。

 改めて考えてみると…

 

 まず企業ですが、つぶさに見ると、

 複数の人間といくらかの資材があるだけ。

 複数の人間が一定の作業をするために話し合い協働していて、

 たしかにそこでは、A社ならA社という言葉が使われています。

 A社という言葉があるならA社が実在するように思われるかもしれませんが、

 言葉があれば何でも実在するわけではないのです。

 例えば幽霊は実在しませんし、一角獣も実在しません…

 一角獣が実在すると言う人は自分の願望を述べているにすぎないのです。

 企業も同様で、ほんとうには実在しないのです。

 

 国家も同じことで、一定の土地の上にわらわらと人々が暮らしているというだけのことです。

 外国が攻めてきたらどうしようと言って兵器を並べてみたり、

 紙切れで物々交換の代わりをしろと言って紙幣をばらまいてみたり、

 お世話をする人に公務員という名称を与えてみたり、

 悪いことをした人に犯罪者という名称を与えてみたりしていますが…

 実在するのは、一定の土地の上にわらわらと暮らす人々だけ。

 

 かつて国家が論じられたのは、なにがしかの問題意識があったからだと思いますが、

 今はむしろ、国家が実在するかのように論じていること自体が問題だと思います。

 まずは国家抜きで問題を論じてみると、わりあい容易に問題をとらえることができるように思います。

 たとえばグローバル化と言われていることも、遠い海の向こうの人との関係ができることを言うだけであって、

 結局は、人と人とのお話なのだと思うのです。




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2014/4/4
文責:福武 功蔵