相対性理論は正しい、という前提で話を進めます。
観測問題から、光速度不変を説明します。
観測問題というのは、神の目線ではなく、
観測者を設定した場合の観測者の目線で記述を行うことをいう(ことにします)。
…大した問題ではないです。あたりまえのことを言うにすぎません。
光を放ち続ける光源が、観測者から見て1光年先にあるとします。
0時0分0秒に光源から放たれた光を観測者が観測するのは何時でしょうか。
…もちろん、1年後です。
では、この光源それ自体が、光速で観測者へ向かっていた場合はどうでしょうか。
…やはり、0時0分0秒に光源から放たれた光を観測者が観測するのは1年後です。
1年後には、光源は観測者と同じ位置に来ていますが、このことは関係なく、
単純に光が1光年先まで届くのに1年かかるから、というのが理由です。
ここで言いたいことは、光源が移動していようが移動していまいが、
0時0分0秒に1光年先の光源から放たれた光を観測者が観測するのは1年後であるということです。
当たり前といえば当たり前のことなのですが、これが光速度不変ということです。
つまり、観測される光の速度というものは、光源の移動とは関係がなく一定です。
どうしてこういうことになるかというと、
観測というものが、基本的に、時間軸の点を対象としていることに原因があるのです。
つまり、観測の対象が、「0時0分0秒に光源から放たれた光」という時間軸の点を対象としており、
観測者が観測する時点も、「1年後」という時間軸の点なのです。
点である以上、そこに運動というものは関係してこないということです。
たとえば、観測者と同じ位置にある光源が観測者から光速で遠ざかってゆく場合には、
0時0分0秒に光源から放たれた光は0時0分0秒に観測者へ届きますが、
1年後に放たれた光は2年後に観測者へ届き、3年後に放たれた光は6年後に観測者へ届くなど、
光源の動きはじっさいの2倍ゆっくり観測されることになります。
しかし、このような見かけの速さと、じっさいの光の速さは全く異なります。
この場合にも光速度不変であり、光そのものは光速で届いています。
標題との関係では、光源の話は重要ではなくて、
光そのものは光速で動いている、というところが重要です。