私は割と最近になって、立ち止まることを覚えました。
ここ数年のことだと思います。
それまでの私は、足を止めずに歩き続けて、道が間違っていることに気付いても、そのまま歩き続けることのできる道を探していたように思います。
立ち止まることを知らなかったのです。
立ち止まるのは、アクションを止めるということではなく、立ち止まることそれ自体が、ひとつのアクションなのです。
そう気付いてから、立ち止まることができるようになりました。
立ち止まってから、反転して、来た道を戻ることができるようになりましたし、全く苦にならなくなりました。
立ち止まって、他の人が先に通り過ぎるのを待ってから、また歩き始めるということもできるようになりました。
50歳を過ぎて、何事についても急がなくなったということもあります。
スピードやパワー以外のところで頑張らなくてはいけませんから。
ところで、鈍感力という言葉があります。
重要な言葉だと、思っていました。
たしかに私の場合は、いろいろなことを気にしなくなってから、いろいろなことがうまく行くようになった気がします。
立ち止まることとの関係では、いろいろなことを気にしないようにすることは、心が立ち止まることなのだと気が付きました。
これも、ひとつの重要なアクションなのです。
何か心が動じるようなことが起きたとき、心が動じないように、心をしっかり保つこと。
心が動じたままだと、良い判断ができなくなってしまいます。
まずは心が立ち止まるよう、心をしっかり保って、心が動じないようにしましょう。その作業に時間をかけてもいいと思います。
このように考えると、鈍感力という言葉は、ミスリーディングだと思います。全然鈍感ではないからです。
何か心が動じるようなことが起きたときは、心が動じるのは自然なことであり、心をしっかり保つ力が、大事なのだと思います。