何事かを成し遂げるのは、その人の才能ではなく性格である。
作家の司馬遼太郎の言葉だそうです。
この言葉を知ったせいか、真面目にやることと、本気でやることとの違いが気になってきました。真面目と本気はどこが違うのか。
本気になれないと、ダメなのでしょうか。
真面目というのは、結果を見ずに、現在の行動について、できることをしっかりとやり遂げることだと思います。一生懸命というのも同じでしょう。
これに対し、本気というのは結果を見ています。結果を出すために逆算して行動しています。結果にこだわるというか。
そのように考えてみると、私は真面目ではあるが、本気ではないみたいです。本気になったことがないのかも知れません。
これには私の人生が影響しています。楽しんで生きているときは結果も付いてきましたが、結果だけを見て生きていたときは、なかなか結果が出ませんでした。
結果だけを見て生きていたのは、司法試験の受験中のことです。私は受験8回目で、ようやく合格することができました。合格を知ったときは、涙があふれました。
7回目のときは、開き直って、それまでと異なり、ほとんど勉強せずに臨みました。試験本番までの準備(入念な知識の詰め込み)よりも、頭を軽くすることで、現場で的確に判断する方を尊重したわけです。試験には落ちたけど、結果はかなり良かったので翌年の合格を確信することができました。
私は、目指していることを実現するときに、目指しているものとはちがうことを一生懸命にやって、結果として目指していたことが実現するという経験を、数多く経験してきた気がします。具体的に何だったかと聞かれても、全く思い出すことができませんが。
でも、そんなことはありませんか?望んでいたことが、すぐには実現しなかったけど、紆余曲折(うよきょくせつ)があって、一生懸命に目の前の課題に取り組んで生きているうちに、いつの間にか望んでいたことが実現していた、ということが。
だから、本気になれない性格だったとしても、それほど気にすることはないように思います。
結果は、出るときには出るのです。
サッカーのロナウジーニョが良い例です。
ロナウジーニョは誰の目にも明らかなくらいに、いつも楽しんで、笑顔でサッカーをしていました。周りの人を笑顔にしてしまうくらいに。
そして、大きな試合になればなるほど、試合を楽しんだ方が良いプレーをして勝つのです。
あれ?ロナウジーニョの話だけで良かったかもしれないですね…。
それじゃあ、若い人向けに、私が若かったころに、助かった話をしましょう。
ひとつは、大学の講義で、中世の人々の時間感覚について学んだことでした。
中世の時代には、遠い未来について考えることがそもそも無かったそうです。
当時は平均寿命も短く、遠い未来のことは考えても仕方のないことだったのでしょう。
若い人が、自分の未来について考えて漠然と不安になるというようなことは、中世の時代には無かったことだそうです。
もうひとつは、そうは言っても多過ぎるエネルギーと少な過ぎる才能(若いので、できることが少ない。)との狭間で苦しんでいた私に対し、友人がかけてくれた何気ないひと言です。
「おれたち、どうなるんだろうなあ」と私。
「ん?なんとか、なるよ」と友人。
この後、かなり長い間、私はこの友人のひと言に感謝することになりました。
そしてじっさいに私も友人も、なんとかなりました。
今?今は、エネルギーが減って、できることが増えたので、バランスがとっても良いです。
毎日、楽しく過ごしていますよ!