昨日更新のチェンソーマン第2部の連載は、女子がカラオケで歌い始めるとバットを持った人が次々に現れて主人公に殴りかかるという斬新な内容でした。
チェンソーマンには、登場する女子のほとんどが主人公を殺しに来るというお約束があり、このお約束で娯楽の王道であるセックス&バイオレンスを実現しています。
一見、ものすごくふざけて描いているようにも見えるのですが、作中の要素だけを取り出して考えてみると、必要なことをいかに面白く描くかというテーマと真摯に向き合っていて、作者が持っている作家としてのフィジカルの高さがよく分かります。
昨日は、仕事の行き帰りで村上春樹の新作、「街とその不確かな壁」を読み終えました。
発売日に買って、少しずつ読み進めていたのですが、昨日だけで200ページくらいは読んだように思います。小説はこの、一気に読み進めるときの面白さがたまらないですね。
私が一番好きな村上春樹の作品は、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」です。
二十歳のころ、最初は持っている人から文庫本を借りて読んで、その後単行本を買って、三十代のころ新装版の単行本を買い直しました。
冒険には地図が付きものだとばかりに、巻頭に幻想世界の地図が付いています。壁に囲まれた街の地図です。
推理小説とかにもよくありますが、私は巻頭に地図が付いている本が好きです。
「街とその不確かな壁」は、あとがきに記されているように、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と関連した作品です。巻頭に地図は付いていませんが。
私は、冒頭の4ページを読んだところでそのことに気付き、しばらく読書が止まりました。
私は、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ後、長い間、自分でも街と壁が出てくる小説を書きたいと思い続けていました。
でも全く書くことができませんでした。
「街とその不確かな壁」を買った日にたまたま患った顔面神経麻痺でしばらく仕事を休むことになったので、集中して自分の小説を書くだけの時間があり、一週間かけて、私は自分の小説を書き上げました。
それほど長い小説ではありませんが、私は満足して、その後しばらく読書の方は止まったままでした。読書を再開したのは、1か月くらい経った後だったと思います。
昨日、「街とその不確かな壁」を読了して、強固な構造物としての小説の出口の扉から出たという読後感がありました。
それは感想というよりは手触りのようなものでした。
作品の内容についてはまだ分からないことが多いのですが、作品の底辺に流れる詩のリズム、幾多にも重ねられた独特の比喩、登場人物を覆う全体のトーンなどの小説の構造物が強く印象に残り、作者が持っている作家としてのフィジカルの高さがよく分かったような、そんな気になりました。
じゃあどうやったらフィジカルが高くなるの?というところは全く分かりません。書いて書いて書きまくるしかないのかもしれません。
あるいは、村上春樹がフィッツジェラルドの作品について行ったように、自分が気に入った作品をとことん分解して研究するのがよいのかもしれません。
最近私がハマったのは、チェンソーマンの連載をリアルタイムで読んだ人たちが感想や予想を書き込んだ過去のインターネット上の掲示板の閲覧です。
とっても面白くて、示唆に富んでいました。
来月上旬にチェンソーマン第2部の最新刊が出るので、これを買って研究してみようかなあと思っています。
リアルタイムで読んだ人たちからは、最新刊の連載分について、話が長すぎるというコメントがありましたが、研究すれば、作者が作品に込めた意図や技術が分かるかもしれません。とっても楽しみです。