第8回 宇宙のはじまりについての巻


 それはケミストリーだったという説があります。偶然発生したものだ、というくらいの意味です。

 村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の21ページ目にそう書いてありました。

 二度と再現しないもの。わたしはこのページを読んで一時間ばかり先に進めませんでした。

 科学的な話で言えば、量子論により、宇宙のはじまりであるビッグバンについて、無から有が生まれたとする説があります。

 量子論では、「無」の状態であっても、非常に短い時間、非常に細かい空間において、エネルギーは一定の値をとることができず、ゆらぐのだそうです。

 そして、このエネルギーのゆらぎから、「有」つまり時間と空間が生まれたというのです。

 量子論は、不思議な話です。量子論によると、量子は、確率が異なるだけで、次の瞬間にどの場所に存在することも可能であり、

 未来ではなく過去へ移動する量子もあるそうです。

 信じるか信じないかは人それぞれでしょうが、多くの科学者は量子論を信じています。

 他方、プランク定数というものがあり、光のエネルギーにはプランク定数による最小単位があるとされています。

 これはわれわれの知覚の限界を示すものです。光子よりも小さなものは見えません。

 また、光より速く遠ざかる宇宙の外縁も、見ることができないとされています。

 さらに、人間の知覚が過去の状態を前提に積み上がるプログラムの形をとっているとすれば、

 知覚は未来へ進む時間軸しかとらえることができません。

 過去へ進む時間軸は知覚のしようがないのです。

 このように、もともと限定された範囲でしか、われわれは世界の有り様を考えることができないのです。

 この限定された範囲では、宇宙のはじまりが偶然だったというのは説得力があり魅力的な仮説だと思います。

 仮説の域を飛び出ることがないとしても。




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2013/10/1
文責:福武 功蔵