第70回 ハートの形で残すの巻


 腹が減ったので蕎麦を食べることにしました。

 駅ターミナルの食べ物屋が密集したエリアで、蕎麦屋以外にもカレー屋や寿司屋があったのですが、

 立ち食いの蕎麦屋で客が食べている冷たい蕎麦が美味そうに見えたのです。

 腹が減っていたので、肉天蕎麦、大盛りを注文しました。

 肉天って何だろう。

 きっと鶏肉を天ぷらにしたものに違いない。多分よくかしわ天と呼ばれるやつだ。

 そう思って待つこと数分、蕎麦が出てきました。

 つやつやして美味そうであります。

 店員のおばちゃんが、暖かそうな光が当たっている天ぷらの格納庫から、

 丸いかき揚げ風のものを取り出して蕎麦の上へ載せました。

 これが肉天でありましょうか。

 早速付け合わせの葱をしこたまつゆへ入れて蕎麦をすすります。

 美味いじゃないですか。

 寒い日でしたが、蕎麦にして正解だったと思いました。

 蕎麦の上には件の肉天が載っております。

 厚みは3センチくらいはあるでしょうか。豪華な天ぷらです。

 早速頂きます。はむはむ。

 おや。これは葱じゃないですか。肉はどこでしょう。

 ほとんど小麦粉で膨らせているだけではないですか。

 肉は、わたしの肉はどこですか。

 ほとんど味がしませんぞ。

 肉天は大きいのでつゆに浸けることもできません。

 さっきまで光の当たったところにあったものだから、温かくてぱりっとしているものと思っていましたが、

 食べてみると冷たいし、もふもふとした食感であります。

 事情をつかめないまま食べていると、何やら四角いハムのようなものが現れました。

 これですか。これが肉天の肉ですか。

 正直何の肉か分かりません。

 同じ材料、同じ手間でどうせ作るなら、パリパリに作ればよいものを…と思いました。

 こんなに小麦粉で埋めずに野菜を活かしたかき揚げにすればよいものを…と。

 店内を見渡しましたが、味を良くしようという職人気質の店員さんは見当たりませんでした。

 全員が時給のアルバイトで日々の労働をこなせば満足といった風であります。

 この店は立地の良さだけでこれまでやってきたのでしょうし、

 今後もそうに違いありません。

 などと考えているうちに、小麦粉でお腹が一杯になってきました。

 蕎麦の方は何とか食べ終えることができたのですが肉天はそうはいきません。

 無理して食べるほどの味ではないですし、

 これを完食して、店の者に肉天が美味くて評判だと思われるのも癪ですし、

 不幸なことであります。

 わたしは肉天を残すことに決めました。

 しかし、露骨に残すのも店員さんに失礼な話であります。

 小考の末、わたしは肉天をハートの形に食べ残すことに決めました。

 まずは肉天の角をひとつ確保して、全体を四角い形で食べ残します。

 次に、確保した角の対角にある部分をばくりと食べました。

 …ハートはハートでも無残なハートが現れました。

 わたしは丁寧に角を食べて削り、何とかハートの形にしました。

 これで自信を持って残すことができます。

 わたしは店のおばちゃんに、ごちそうさまでした、と声をかけて去りました。

 おばちゃんは絶句して目を見開いていました。

 もしかするとごちそうさまでしたと言われることも、

 ほとんどなかったのかもしれません。

 そんなおばちゃんがハート型の肉天に気付いただろうかというと、

 たぶん気付かずに普通に捨てたのではないかと思われます。




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2013/2/11
文責:福武 功蔵